人生80年、今やわれわれは未知の領域に踏み込んでいます。
生きて働いて、やっと一息ついてみると、死ぬまでにまだ20年30年という長い時間が横たわっており、老いと病いが一気に割り込んできている気配です。もう寿命が50年の時代の人生モデルでは間に合わなくなっているのです。
ならばもっと長生きして、人生90年時代を目指せ!という掛け声が出てくるわけですが、しかしそれだけでやっていけるでしょうか。私にはそうは思われません。そうでは なくて、今ひとりひとりが「死に支度」を考え始めるときにきているのではありませんか。
いかに生き、そしていかに死んでいくかという「死生観」が問題になっているということでしょう。なぜそういうものとわれわれは無縁になってしまったのか。
そのひとつの答えは、日本人がひとりでものを考えなくなったことと関係があると思います。古く「ひとり」という言葉は、自立した魂の在り処を示すとても豊かな意味を持っていました。しかし今は若者から中高年まで、この「ひとり」を極端に嫌っているような気配です。
何でも横並び平等主義の中で、周囲との比較や競争に巻き込まれ、自分を見失い追い詰められてきたからです。そのためいつの間にか、心の中に嫉妬や殺意が渦巻き、蓄積されるようになりました。それが自殺や鬱の状態を生み出し、子殺し、親殺しのような問題を引き起こす原因のひとつになっていると私は思います。葛藤に耐える心の「溜め」もなく、噴き上がる感情を堰き止められないでいるのですね。
孤独で絶望的なとき、もし平家物語に流れる生者必滅の無常観を知っていれば、そもそも人間というのは生きて死ぬものと思い、その運命を共有しようという認識ならば、自ずと結果は違ってきたと思うのです。何千年ものあいだ「人間」を見つめて来た哲学や宗教からのアプローチが今こそ必要なのですね。
宗教学者1931年生まれ。東北大学文学部印度 哲学科卒業。東北大学文学部助教授、国立歴史民俗博物館教授、白鳳女子短期大学学長、京都造形芸術大学大学院長、国際日本文化研究センター所長などを歴任し、同名誉教授。
著書に『宗教の力』(PHP 新書)
『日本人の宗教感覚』(NHK 出版)、
『日本人と「死の準備」』(角川SSC 新書)ほか、多数。
